今日はちょっと真面目な話です。なので文体もいつもとはちょっと違います。
少し重い内容になりますが、読んでいただけるとうれしいです。
ちょっと長くなるので、何回かに分けて書きます。
ここでもチラッと書いたと思うのだけど・・・私の母のこと。
母は38歳という若さで亡くなっている。
私は4歳だった。
ある日、打撲した覚えもないのに母の体にあざができた。
体調もよくなかったので、近所の開業医に診察してもらうと「ウチでは診れないから大きな病院へ行け」と言われた。
白血病だった。
私はあまりに幼かったので、どういう治療をしたかは知らない。
父親からもその話は聞いてないし、父も昨年亡くなっているので確かめるすべもない。
最近になり、いい抗がん剤や骨髄移植という治療法があるが、当時はそんなものもなかったし、医療技術も今とは比べものにならなかっただろう。
それでも母は治る寸前だったと父から聞いた。
亡くなった直接の原因は肺炎だった。
小さい子どもを置いて、亡くなった母も心残りであっただろう。
少し重い内容になりますが、読んでいただけるとうれしいです。
ちょっと長くなるので、何回かに分けて書きます。
ここでもチラッと書いたと思うのだけど・・・私の母のこと。
母は38歳という若さで亡くなっている。
私は4歳だった。
ある日、打撲した覚えもないのに母の体にあざができた。
体調もよくなかったので、近所の開業医に診察してもらうと「ウチでは診れないから大きな病院へ行け」と言われた。
白血病だった。
私はあまりに幼かったので、どういう治療をしたかは知らない。
父親からもその話は聞いてないし、父も昨年亡くなっているので確かめるすべもない。
最近になり、いい抗がん剤や骨髄移植という治療法があるが、当時はそんなものもなかったし、医療技術も今とは比べものにならなかっただろう。
それでも母は治る寸前だったと父から聞いた。
亡くなった直接の原因は肺炎だった。
小さい子どもを置いて、亡くなった母も心残りであっただろう。
しかし、残された家族も大変だった。
小学校6年を頭に3人の子どもを抱えて、仕事も家事もしなくてはいけない父。
(後年、父が「あのときは一家心中してもおかしくないぐらい大変だった」と話していた。がんばって乗り越えて、育ててくれた父に感謝。)
子ども達は子ども達で母がいなくなり、寂しい思いをしながら、家事もしなければならなかった。
私は・・・といえば、母が亡くなったことがキッカケで、一時期だが話すことをしなくなったらしい。
ハッキリとは覚えてないのだが、周りの大人たち(特に近所のおばさんたち)が「かわいそうに・・・」を連発していて、子ども心にその言葉を聞いて「かわいそうじゃないのに」「お父さんを困らせたらダメなんだ」と思い、選んで話をしていたと思う。
人の顔色をうかがって行動する、かわいくない子どもだった。
学校に入ってからも相変わらずで、他人に話しかけるのにも「こんなことを言って、相手がどう思うだろう」とか「相手が傷つくんじゃないか」という心配から、すごく無口な子どもだった。
そういうことと母がいないことが格好の材料となり、いじめの標的になったりもした。
が、いじめられても、元々の性格は気が強いので(笑)学校を休もうとかいう考えはなく、自分なりに闘っていた。
それでも悩みや話をしたくて「母がいればなぁ」とよく思っていた。
いじめとかは別にして、かなり寂しい思いをしていた。
大人になって結婚してからは「母がいれば、こんなときどうするか聞けるのに・・・」と思うことも度々あった。
←ランキング参加中♪
←ランキング参加中♪
小学校6年を頭に3人の子どもを抱えて、仕事も家事もしなくてはいけない父。
(後年、父が「あのときは一家心中してもおかしくないぐらい大変だった」と話していた。がんばって乗り越えて、育ててくれた父に感謝。)
子ども達は子ども達で母がいなくなり、寂しい思いをしながら、家事もしなければならなかった。
私は・・・といえば、母が亡くなったことがキッカケで、一時期だが話すことをしなくなったらしい。
ハッキリとは覚えてないのだが、周りの大人たち(特に近所のおばさんたち)が「かわいそうに・・・」を連発していて、子ども心にその言葉を聞いて「かわいそうじゃないのに」「お父さんを困らせたらダメなんだ」と思い、選んで話をしていたと思う。
人の顔色をうかがって行動する、かわいくない子どもだった。
学校に入ってからも相変わらずで、他人に話しかけるのにも「こんなことを言って、相手がどう思うだろう」とか「相手が傷つくんじゃないか」という心配から、すごく無口な子どもだった。
そういうことと母がいないことが格好の材料となり、いじめの標的になったりもした。
が、いじめられても、元々の性格は気が強いので(笑)学校を休もうとかいう考えはなく、自分なりに闘っていた。
それでも悩みや話をしたくて「母がいればなぁ」とよく思っていた。
いじめとかは別にして、かなり寂しい思いをしていた。
大人になって結婚してからは「母がいれば、こんなときどうするか聞けるのに・・・」と思うことも度々あった。
←ランキング参加中♪追記を閉じる▲
小学校6年を頭に3人の子どもを抱えて、仕事も家事もしなくてはいけない父。
(後年、父が「あのときは一家心中してもおかしくないぐらい大変だった」と話していた。がんばって乗り越えて、育ててくれた父に感謝。)
子ども達は子ども達で母がいなくなり、寂しい思いをしながら、家事もしなければならなかった。
私は・・・といえば、母が亡くなったことがキッカケで、一時期だが話すことをしなくなったらしい。
ハッキリとは覚えてないのだが、周りの大人たち(特に近所のおばさんたち)が「かわいそうに・・・」を連発していて、子ども心にその言葉を聞いて「かわいそうじゃないのに」「お父さんを困らせたらダメなんだ」と思い、選んで話をしていたと思う。
人の顔色をうかがって行動する、かわいくない子どもだった。
学校に入ってからも相変わらずで、他人に話しかけるのにも「こんなことを言って、相手がどう思うだろう」とか「相手が傷つくんじゃないか」という心配から、すごく無口な子どもだった。
そういうことと母がいないことが格好の材料となり、いじめの標的になったりもした。
が、いじめられても、元々の性格は気が強いので(笑)学校を休もうとかいう考えはなく、自分なりに闘っていた。
それでも悩みや話をしたくて「母がいればなぁ」とよく思っていた。
いじめとかは別にして、かなり寂しい思いをしていた。
大人になって結婚してからは「母がいれば、こんなときどうするか聞けるのに・・・」と思うことも度々あった。
←ランキング参加中♪
| ホーム |
←今年は舞羅。も参加します。


